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お知らせ
8月15日2020 UP
「寄付プロジェクト」誕生のきっかけ
皆のこころが1つに
エンディングセンターには「寄付プロジェクト」という名
のもとに集まってくださった墓友のサークルがある。縫い
物や手芸品をつくるのが好きな人たちだ。出来上がった
作品は、当団体主催の行事や、市民協働フェスティバルの
「まちカフェ!」などで販売し、その売上金を寄付してくださっている。
当初はエンディングセンターが主催して呼びかけたが、
今では「小物作りの会」として、自主サークルになっている。
実は、この「寄付プロジェクト」を立ち上げようと思ったのは、
私が韓国のある高齢者施設を視察したことがきっかけだ。
私と韓国の出会いは、1991年に遡る。
エンディングセンターの前身「21世紀の結縁と墓を考える会」ができた1990年当時の日本は、
伝統的なお墓には「葬送の自由」がないとして、跡継ぎを必要としないお墓や、遺灰を海山に撒く
散骨といった葬法が脚光を浴び始めていた。そこで1991年に私は、韓国のソウル市と中国の上
海市の火葬場や霊園、斎場、散骨などを視察した。
それから十数年がたった2005年、それは町田市に桜葬墓地を実現した年だった。韓国の
視察団が「桜葬」墓地に大勢で訪れた。その時はじめて、韓国でも樹木葬が注目されていることを
知った。時を同じくして私が勤務している東洋大学と韓国の平澤市が協定を結び、学生の交流会
や調査研究も始まった。
韓国では日本の介護保険制度に当たる「老人長期療養保険制度」が、2008年から実施された。
2000年から実施している日本の介護保険制度下の実態を知るため、また土葬中心の韓国が急激
に火葬化を進め、その遺骨の行き先として樹木葬に注目が集まり、日本との情報交換が強く求めら
れている時だった。
かくして2015年までの10年間、私は年に2~3回韓国を訪問し、私の本が韓国で翻訳され
テキストになったり、専門学校や大学で講義の機会も得たり、国際セミナーには何度か呼ばれた。
ところが2016年から北朝鮮のミサイルが発射され始め、さらに戦後問題で日韓関係が悪化、
そしてコロナ禍と続き、ずっと韓国に行けない日々が続いている。
話を「寄付プロジェクト」に戻そう。
上述のような私の韓国研究が続く中で、2012年3月に全羅北道完州郡にある「聖ヨセプトン
サン養老院」を訪問した。それまでにも数多くの寺院や福祉施設を視察したが、そのさい通訳や
案内人から、「この施設には、ドネーション(寄付)を用意してください。10万ウオンを包めばいい
でしょう」などという言葉を聞くことがあった。実は韓国は日本よりも寄付文化が根付いている。
「聖ヨセプ トンサン養老院」を訪れたさい、現地の研究協力者から前もって「寄付が必要です」
という話はなかった。
院内を案内してくださったのは、シスターだった。このシスターが、行く先のない高齢者を引き
取って面倒を見ることから始まった施設だと聞いた。施設内を見学し終わると、質問など受ける
ため応接室のような部屋に案内された。
その部屋の大きな戸棚や近くには、たくさん手芸品が飾られていた。布や毛糸を寄付する人、
それで縫ったり編んだりする人、皆がそれぞれの立場で協力してできた小物たちであった。
決して寄付を強制するわけではないが、その戸棚には、皆のこころが詰まっているような気がして、
私はいろいろな作品を購入して帰ってきた。関与した誰もが幸せになるボランティアのこころ。
小物を購入して帰ってきた私までが、人々の輪の一員となって、つながったような気がした。
その時、エンディングセンターにもこういった皆のこころを持ち寄った「寄付のための小物作り」を
つくりたいと考えたのだった。